世界は時として
僕たちが考えているよりもずっとシンプルにできている。

例えば
天気の良い4月の週末
昼下がりに「すし丸」の暖簾を潜り
カウンターの一角を自分だけの居酒屋に変えてしまうこと。
それは誰に邪魔されることもない
極めて個人的で
かつ真っ当な自由の行使だといえる。

何はともあれ
まずはビールを注文することにする。
昼の光を透過して黄金色に輝く液体
最初の一口が喉を通り抜けるとき
僕の頭の中では
日常の些細な義務感のようなものが音を立てて消え去っていくのがわかる。
それは一種の
静かな解放のようなものだ。

タッチパネルという無機質なインターフェースを介して
僕は次々と肴を召喚していく。
そこには言葉によるやり取りも
店員との視線の交差も存在しない。
ただ指先で画面を叩くという行為の積み重ねによって
僕の目の前には僕だけの小さな酒宴が構築されていく。

周囲を見渡せば
そこには家族連れの賑わいや
足早に食事を済ませる人々の姿がある。
彼らにとってここは寿司を食べる場所だが
今の僕にとっては時間を緩やかに溶かすための場所だ。

同じ空間を共有しながらも
僕が立っている次元は
彼らのそれとは決定的に異なっている。
白昼のアルコールは
僕と世界の間に
薄くて透明な
しかし強固な膜を張ってくれる。

運ばれてくる料理が具体的に何であるかは
この際それほど重要ではない。
揚げたての衣の感触や
冷んやりとした魚の脂
あるいは出汁の効いた蒸し物の熱量。
それらはすべて
僕の思考を心地よい空転へと導くためのきっかけに過ぎないのだ。
僕はただ
それらを順番に口に運びながら
自分の中で静かに組み上がっていく調和の形を確かめる。

嘉味!
やがて昼飲みという名の短い航海は
終着点へと近づいていく。
満たされた胃袋と
適度に麻痺した神経。
それらがもたらす穏やかな倦怠感は
人生における正しい休息のあり方を僕に教えてくれる。

店を出ると
外の光はまだ明るく
世界は何事もなかったかのように動いている。
しかし
僕の体内には
確かな熱量と
少しばかりの記憶が刻まれている。
また次の季節が巡ってきたら
僕はきっとここへ戻ってくるだろう。
ごちそうさまでした。




